インドという修行の地

2008年 大学の春休みにインドに行った。
初めての海外で1ヶ月、修行のつもりだった。


最大のスラムがある大都市 ムンバイ

ターバンやサリーの本物のインド人ばかりで、言葉は通じないし英語もちゃんとは話せない。
トイレに入ると空港の職員に金をくれと言われてビビった。
到着してすぐに殺されるイメージが湧いていたので、そのまますぐにでも帰国したかった。

車は夜中までクラクション鳴りっぱなしで、夜に騒ぎ立てる犬は狂犬病かも知れず、安宿では外国人の喧嘩が起きていた。
大麻売りのおじさんが近寄ってきたり、良質な大麻を求めて旅をしている日本人の話を聞いたりした。
中国人と思われて、すれ違いざまにチャイナと言われて舌打ちをされたり、地面に唾を吐かれたりするので、ジャパン!というと手のひらを返したような態度になる。

明け方から歩き回って夜になり、やっと宿を見つけることができた時には靴が壊れていた。
天井の扇風機は、回転するフックに羽がついているだけで怖かった。

犬に追いかけられて路地に入り込むと、ゴミでできたスラムの海岸に出た。
そばにいた子供に、元いた道に帰りたいとジェスチャーで伝えると、細いスラムの路地を抜けて帰り着くことができた。
玄関にドアはなく、布が下がっているだけだったりして、そこに赤ん坊がいたりした。
彼が悪人だったら僕はこの世にいない。

宿の窓は開けっぱなだったり壊れていたりする。
夕方、シャワーを浴びた後のぬるい風が最高に心地よかった。



ガンディいた街 アメダバード

ムンバイからの夜行列車で出会った家族と仲良くなり、家に泊めてもらう。
折り紙を折ったり笛を吹いた。
日本は原爆で大変だったね。と言われて、その意識のあり方に驚いた。
彼は日本に災害が起きるたびに連絡をくれる、遠い家族のような存在。

ガンディアシュラムというマハトマ・ガンディが祈りを捧げていた場所では涙が出そうになった。

次の街へ向かう途中の宿では、玄関が開けっぱなしだった。
外は野良犬がうろうろしていて、入ってすぐドミトリーのベッド。
個室は、壁に埋め込まれた扇風機が大型サイズで、消すと暑いしつけると猛烈にうるさい。
扉のない暗くて狭いセメントのシャワー室はトイレでもあり、シャワーの水がそのままトイレに直接流れていく。
自分もトイレに流されそうな気持ちになって怖かった。


神聖な湖の街 プシュカル

知らない若者から突然「俺の写真を撮ってくれ!俺のことを忘れないでくれ!」と言われて、いやお前誰だよ!と思ったけど、印象的すぎて忘れなかった。
レストランに入ると、犬避けに持っていた木の棒を店員からやたらとバカにされたので、こっそり名前を聞き出して「〇〇、覚えておけ」と静かに言ったら態度がころっと変わった。

電車を掃除するボロボロの子供が、ジェスチャーで「食べもの、お金」と言ったのでこのときばかりはお金をあげた。2周目にきたときはあげなかった。
彼の目を忘れることはないと思った。


砂の街 ジャイサルメール

キャメルサファリという砂漠ツアーに参加した。ラクダに乗って砂漠に行って、一晩過ごすというもの。
砂漠にコーラを売りに来るコーラマンというおじさんがいた。
ツアーガイドの8歳くらいの子供は、夜中に寝ぼけて抱きついてきた。
自分で気がつくと、僕が性的に誘おうとしたのだと勘違いしたようで、股間を触ってきた。
違う!と言って離れたけど、子供がそういうことをしなければならないのは苦しい気持ちになった。

日本人と近所の丘で笛とジャンベのセッションをしたら、近所の人は大喜びだった。
直後にでかい牛が砂煙をあげて喧嘩をはじめて、みんな石を投げていた。

寝台バスに乗った。通路の左右に二段のベッドがある。1つのベッドに二人ずつ乗る。知らないインド人のおっさんと一つのベッドで寝るという驚きのシステムだった。


タージマハルしかない アーグラ

タージマハルは墓標なので、写真撮影禁止。
構わず写真を撮ったり叫んだりする外国人に、ガイドのおじさんは悲しそうだった。
建物は気の遠くなるつくりで見事だった。

熱が出て寝込み、宿にあった宮部みゆきさんの「火車」という暗い話を読んだ。

日の出と日の入り カニャークマリ

ガンジス川よりも、インドの最南端にある日の出と日の入りが見れる街に行きたくなった。
丸3日間夜行列車に乗った。
電車の中でインド人が爆音で携帯から音楽を鳴らして歌っているので、僕もブルーハーツを歌いまくった。
ホーリーというヒンディ教の色水祭りの時期で、途中の駅でみんな一斉に窓を閉めた。電車にも色水が投げつけられる。シーク教徒(ターバンが違うのでわかる)も笑っていて、素敵だった。

カニャークマリに着くと、雨が降っていた。
宿の人に明日止むよと言われ、3日待っても止まない。
道のヤギたちも、小さい庇にぎゅっと固まって雨宿りしている。
レストランの人に聞いたら、今月は雨季だと言われた。

サンダルで坂道を登っていたので、雨の流れが気持ちよかった。
その上流に巨大な牛の糞があり、僕の足を流れる水に溶けて出していた。

ヒッピーの街 ゴア

夕焼けがものすごく赤々としていて、やる気のない西洋人がうろうろしていた。
熱が出て、宿の部屋からトイレに通うのも大変でついにはトイレに寝た。
小さいゴキブリがいっぱいいて、それすらどうでも良い。
このときばかりは仲間だった。

歩き回るまもなく帰国の時が近づいてきた。
ヒジュラーというおかまらしいおかまがバスに乗ってきて、僕の前で謎のまじないをした。
本当は断ると恐ろしいことをされるらしいけど、知らないので普通に断ったら、シッシという動作で呆れたように払われた。


帰ってきた ムンバイ

あれほど恐ろしかった街が懐かしく感じた。
大麻売りのおじさんには、耳が聞こえないふりをすれば良い。大きい声で言えないから。

大きな鉄パイプを二人かかりで人力で一日中切っている人たち、ペンキで看板の文字を書くおじさん、市場の半分外にベッドを出して寝転んでいるおじさん、道端につまれたゴミの山。

今度はガンジス川に行きたい。