プロフィール:起源と哲学(Singulartインタビュー)

これは、Singulartの登録時の質問事項への回答です。
Singulart: Hirofumi Miyauchi (Andecian)

1あなたの芸術的背景と訓練は何ですか?

私の芸術的背景と訓練は、以下の4つの経験にあります。

「生来の自閉的気質」
私は双極性障害を持つ障害者であり、それは生来の自閉的気質が社会との不整合によって表層化した結果だと考えます。普通にしているのに社会に馴染みにくく非常に不便ですが、それは逆に、社会に馴染める人は私にはなれないということでもあります。私は「常に起こり続ける社会との摩擦熱」というカオスの源泉を持っています。それを芸術の才能と捉えて作品を制作しています。

「幼少期からの伝統芸能」
私は、港町の荒々しい祭礼音楽「銚子囃子」を1997年から学び続けています。プロの和楽器奏者を目指したこともありました。近年は、農業地域の力強い伝統芸能「鬼太鼓」を学んでいます。それらの地域の伝統芸能は、無名の人々が長い世代をかけて作り上げたものです。そこには、身体を通して培ってきた命の力が宿っていると思います。それらの力は、花火のように美しく儚く外側に発散することも特徴的だと思います。
一方で、新たに学び始めた「能楽」は、非常にゆっくりとした動作を魅せる必要があります。外側ではなく内面の充実を求められます。すでに経験のあるローカルな野生の力を、内面の充実として転化できるかもしれません。するとこの発想は、即座に絵に応用できると思いました。静かな一本の線でさえ、激しい揺らぎを内包できるはずです。
伝統芸能は、「型」を繰り返し学ぶ必要があります。言葉による理解だけでなく、反復によって身体化することで初めて自由を体得できます。型と身体の声を必要とする伝統芸能は、私の芸術の背景として欠かせないものになっています。

「伝統木造建築の修行」
私は2011年の原発事故に衝撃を受け、木造建築の専門学校へ行きました。木は嘘をつかないと思い、絵画作品と工具を交換したりして学びに没頭しました。その後、宮大工という伝統木造建築の職人に元に弟子入りしました。釘を使わない木組みの技術で寺や神社を作り、1000年以上建物を持たせる事を目指す職人です。しかし私は、職人の世界に全く馴染めず、僅か4ヶ月で辞めてしまいました。長い間夢に見たほど、作業場の空気感は今でも鮮明に思い出せます。大工を辞めてからは、行くあても自信も失いました。自分の人生が原発のようにメルトダウンしてしまったように感じ、南の島で絶望的な気持ちで海を見ていました。すると、絵を描きたい気持ちが猛烈に湧いてきました。理性で一度芸術を手放し、信仰とも言えるほどの技術の道で失敗したからこそ、はっきりと芸術の道を進む事ができています。
現在、建築に携わった経験は、空き家をギャラリーとして再生する際等に「絵を描くように空間を再生する」技術基盤となり、また、素材への理解や手触りは「空間を作るように絵を描く」という形で、私の芸術の背景の一つとなっています。

「大学での学びと国際的な経験」
私は2009年に、東京都の和光大学芸術学科を卒業しました。有名芸大のようなブランド力は皆無であったので、伝統的なアカデミズムに依存せず、自らの足で表現を探す必要がありました。しかし、学生の当時はどうしても絵を描くことができず、ただただ空回りする勢いと共に太鼓を打ち、もがき続けるしかありませんでした。卒業後も何者にもなれず、まるで泥の中であるかどうかわからないダイヤの原石を探し続けるような感覚でした。
2015年からの2年間は、ドイツ・ライプツィヒで地域の交流拠点に住みました。そこは、かつてドイツ最悪の通りと呼ばれた場所(Eisenbahstraße)で、移民の波との共存共栄にもがく最前線でした。大学時代のままもがき続けた果てに、ついに世界的なもがきの渦中に飛び込んだようで、毎日が刺激的なインスピレーションで満ちていました。
これらの生々しい経験は、「Spinnerei(Leipzig)」や「Kintai Arts(Lithuania)」での活動へと繋がりました。
また、その後の日本での子供プロジェクトやギャラリーの創設の糧となり、私の芸術の背景として生きています。

2. あなたの作品では、どのようなテーマやコンセプトを探求していますか?

私の作品のテーマは、非言語の領域にあると考えます。
あえて言うならば「声なき声」かと思いますが、私自身が作品全体のテーマやコンセプトを考えて制作することはありません。

個々のシリーズや作品にはテーマがあったりしますが、大前提として私が普通に生きようとするために絵を描くことが必要なのです。
人はおなかが空くからご飯を食べるのであって、いちいちコンセプトなどとはと言いません。
私は健康であるためにご飯を食べ、絵を描いています。

また私は、人間の思考は言葉でできていると考えます。
「目に見えないもやもやとした感覚を、目に見える形にしたもの」が芸術作品であると信じています。
なので、私自身が先んじて言葉に置き換えてしまう事は慎みたいと思います。
言葉よりも常に感覚が一歩先にあることで、初めて作品は輝きを放つはずです。

「作品という魂の結晶を積極的に言葉にすべし」という潮流には、理解が追いつきません。
コンセプト重視である芸術のあり方は、人間の思考の価値観だけで物事を図ろうとする姿勢にも見えます。
こうして本当に身体の「声なき声」を置き去りにするのが芸術だとするならば、生命に対する冒涜に通じているとさえ思います。

この潮流の発端の一つに、マルセル・デュシャンの「泉」があると思います。
ならば私は、「トイレの神様」を持ち出します。
日本の神道ではあらゆるものに神が宿り、トイレにさえ神様が宿ると言われます。
トイレを綺麗にすることは、自分自身の心の浄化であるという考え方です。
直接的なトイレ掃除も含めて、私は文字通り泥に塗れて多くのことを体得しました。
ブルーカラー的労働には、手の声を高めてくれる可能性があります。
私にとって、芸術家としてのノブレスオブリージュとも言える誇りある探究です。
そんなことを言うのは少数派でしょう。
しかし、現代の価値観というのは常に一過性のものであり、多数派である事は正しさの証明にはなりません。

現代の価値観に対して、伝統的な価値観があります。
伝統は常に時代遅れであり、不条理で非効率で更新すべき側面があるのも確かです。
だからこそ、現代の価値観が行き詰まった時に、時代を乗り越える知恵が保存されているかもしれません。
つまり伝統は、現代の言葉だけでは説明ができないことに価値があります。
伝統を更新するかどうかを考える時、それが「伝統だから」という理由で既に保存すべき一定の合理性があります。

伝統によって、思考による判断を世代を一つずらしておくもの有効だったりします。
わかりやすい例えは、故人についての捉え方だと思います。
故人が眠るお墓に向き合う時、その人は何を思うだろうかとほんの少しでも思いを巡らせるはずです。
どれほど経済合理性にそぐわなくても、故人の思いを成し遂げようとする人も多いです。
こうして、死者の声は確かに生者に影響を与え続けています。

もしも「伝統などくだらない。見えないものなど存在しない。」
もしもそのように本気で言う人がいれば、「では、あたなが亡くなった時は、遺体もご先祖様のお墓もゴミと一緒に捨てましょうか?」と問うてみたいと思います。
そう言われてギョッとしたり怒り出すならば、いかにその人が無自覚に伝統に寄りかかっていたのかの証拠になります。

自分の命が尽きた先の時間にも耐えうる普遍性は、基本的にその時代では言語化ができないはずです。
「作品そのものよりも先んじて言語化し、言語で自身の未来の作品を既定する姿勢」は、私にとって更新すべき伝統です。
私は、コンセプトという重圧に対して、対等な身体性のコンセプトで返答するために20年を要しました。
他のアーティストのコンセプチュアルな作品を汚したいのではなく、小さく微かな声を守りたいのです。
未来は、言葉ではなく身体や手に宿った声が作るのだと思います。

私は以前、お寺から由来不明の古い刀を貰いました。
日本では、刀は侍の魂であり霊的な力が宿るとされます。
私は自分で丁寧なお清めをして、二つに切って鉄として処分しました。
私は宗教の専門家ではありませんが、手触りとして感じられるほどの見えない感覚を頼りに行いました。
このような聖と俗の境界線への意識は、見えないものを見えるようにする絵に通じていると思います。
つまり、伝統的な身体性を学ぶことは、芸術のアウラの修行の一つであるはずです。

私は、人の内側にある「声になき声」と共鳴する作品を芸術と呼びます。
100年、200年後にそのことを証明したいと思いますが、これは私個人の作品のテーマなどではありません。
言葉の向こう側に挑む姿勢こそが、普通で当たり前の芸術のテーマだと思います。

3. あなたの芸術スタイルや技法について、どのように説明しますか?

私の芸術スタイルでは、技法は最優先ではありません。
人間としての呼吸を大切にしています。
まずその事を、日本の茶道をモデルに説明します。

日本の戦国時代、茶道が隆盛を極めました。
刀を置き、躙口(小さな入り口)をくぐり、茶室へと入ります。
どれほど身分の差があろうと、その中では対等とされます。
しっかりと刀を置くことが、逆説的に戦での機微に通じているという知恵であったはずです。

私は芸術訓練ではなく、日常の一杯のお茶や散歩を愛しています。
芸術家としてではなく、一人の無力な人間としての呼吸を整えようと努めています。
海の力強さや星の美しさを手放して生きたいとは思いません。

こうしてビジネス上の競争や芸術家の肩書きを傍に置く姿勢こそが、真に魂に響く芸術に通じていると信じています。
呼吸を整え、絵が話しかけてくるように感じる時、筆は自由を得ます。
私は、その瞬間の精妙な自由さを邪魔しない技法であれば、喜んで採用します。
日常で呼吸を練り、その鮮度を保ったまま制作するためには、日常の延長で描くのが理想です。
遠いアトリエに通うことは苦痛に感じ、衣食住が身近にある家の中での制作が最も落ち着きます。

また、特別な技法を使おうとすると準備や後片付けに気を取られてしまい、呼吸の鮮度が落ちてしまうように感じます。
私は、決して技法の探究に興味がないわけではありません。
むしろ面白すぎるのです。
私は突発的に過集中状態になりやすいため、一旦何かに夢中になると他のことに手がつかなくなってしまいます。
(それは、1000話以上あるアニメシリーズを、起きてから寝るまで1ヶ月間ずっと見続けたこともあるほどの過集中です。)
そのような熱量で技術を探究するので、まず素材の扱いや理屈・歴史を調べ上げます。
建築やその他の知識と相まって、これまでに少なくとも以下のような技法に夢中になりました。

・ウォータレスリトグラフ版画のウォーターカラー技法の開発実験。
・和楽器の修理(篠笛、龍笛、能管、大太鼓、小太鼓)。膠・漆・竹・籐の取扱い。笛の演奏技法。
・原料を調べ、伝統的な漆喰を原料から作る。手堀りの井戸作り。
・太陽光発電と蓄電池の設置。板金、溶接。薪ボイラーの分解修理。
・超音波センサーやスピーカーを連携させたプログラミング。数論。

しかしどれも、熱が冷めると忘れやすいのです。
頭で忘れてしまっても、その素材との対話の経験は自分の身体に残り続けます。

そんな私が日常の呼吸を探求するということは、アーティストとして社会的に求められる要素の排除にさえ繋がります。
筆を洗う水を用意する事や、描いた絵を保存すること、写真を撮ることも大変に感じます。
記録や販売よりも制作を優先するがゆえに、そのことを思うだけで絵を描く気持ちが引っ込んでしまうことも多いのです。
日常という深遠な領域の探求は、膨大なエネルギーを必要とします。
私は、自分の呼吸を小さな火種のように大切にすることで、初めて制作に向き合う事ができます。
私は自身の病的な過集中を、作品の命に転化しようとしています。

作品制作にあたり、芸術の枠にとらわれない技法を取り込むこと自体はあまり苦労しません。
必要なのは「頭のモードを切り替えと、物質的な準備」であり、作品に宿る本質的な奥行きには影響しないように思います。
そのため、普段は平面に描くために確立された技法を採用します。
主に使用する画材は「油彩、水彩、墨、アクリル、パステルなど」、支持体は「キャンバス、画用紙、和紙、段ボール、木片など」、その時の衝動に適しているものを使用します。
私は、直接的に絵を描くことは表層であり、これまで身体に蓄積された経験が作品の奥行きを与えると考えます。
見えない絵を描いている時間が、物質的な絵に結晶化するという感覚です。
ギャラリーの運営や子供プロジェクトも社会彫刻であり、それは花を愛でたりコップを丁寧に扱うことと本質的には同じです。
目に見える形が絵であれば、わかりやすく社会的に「芸術作品」と呼ばれます。

呼吸を整え、過去の声なき声と現在が繋がるとき、そこにある自由は未来に通じると思います。
それは世界への祈りであり、魂に染み渡る一服のお茶のようなものであることを願っています。
これが私の芸術のスタイルです。

4. あなたの作品の原動力やインスピレーションは何ですか?
そして、作品を通して何を伝えたいと考えていますか?引用文など、自由に共有してください。

私の作品の原動力は、生来の自閉的気質にあると考えます。

自分独自のルールやルーティーンに執着があり、乱されることを嫌います。
感覚が違うため、人と同じ言葉を話していても意味が違ってしまい、油断するとすれ違いが起きます。
言葉を正確に伝えようと思うと、今度は言葉の定義を説明するのに膨大な時間を要します。
役所などに行くと話の筋道が違いすぎるため、10人程度に囲まれてしまうこともあり、恐怖を感じます。
また、パニックになるとその場でぐるぐる回ってしまい、予定をキャンセルすることもあります。

普通に生きているだけで、既に社会とずれているのです。
2023年に心理検査を受けるまでは、自閉症だとは考えてもみませんでした。
今は、その前提を採用するだけで良いので随分楽です。
理解し合う必要はなく、違うまま尊重すれば良いのです。

自分自身の立ち位置が判明したことで、ようやく消耗を抑え、可能性として捉える事ができるようになってきました。
今では、社会との摩擦の熱量こそが芸術の才能であり、作品に宿るカオスの源泉であると思っています。

私が長らく不便を強いられた原因の一つには、同質性を強く求める日本社会の現状もあります。
日本の社会構造や歴史的背景によって生じる歪みの結果であると思いますが、魂を削られないように守り続ける必要がありました。

2015年、日本にいたら気が狂いそうだった私は、ドイツへと渡りました。
ドイツにはドイツの問題があるはずですが、とりあえず誰からも同質性を求められませんでした。
あの社会の風通しの良さは忘れられません。

とはいえ私は、ドイツで鬱が激しくなってしまいました。
冬の寒さと暗さ、失恋、家族とお金の問題が重なって、心が崩壊してしまったのです。
シラフでものが歪んで見え、パソコンのデスクトップには「遺書」というテキストを保存していました。
緊急帰国する直前は、ヘッドホンの最大音量で地元の伝統音楽を聴き続けました。

地元である日本の千葉県銚子市は、古くから港町として栄えました。
魚は日本一獲れますが、海は波が荒く危険に満ちています。
「大漁か死か」という刹那的な生き方をする人が増え、少し昔はヤクザと博打の町として知られていました。
私が学んだ祭礼音楽は、そんな荒い海で生きる無名の人々が、何世代もかけて作り上げてきたものです。
近隣の街にも同じ曲がありますが、銚子のものだけテンポが異様に早いのです。
そんな音楽や和太鼓の体の動きには、危険な海に挑む命の力が凝縮されていると思います。

当時の私は、伝統芸能について今ほど深く考えておらず、ただ楽しいからという理由で続けていました。
しかし、ドイツで自殺の危険のある中で聞き続けた経験により、自分のルーツや霊性について徹底的に向き合う必要に迫られました。
人の命が簡単に奪われてきた海の難所が地元だからこそ、その文化に込められた命の力を絵にできるかもしれない。
私を生き延びさせた力は形を変えて絵となり、人の生きる力になれるかもしれない。
ドラッグをやらないとビートルズを越えられないなどと言う音楽家もいますが、私が精神崩壊によって体得した命の底力はドラッグなど必要ありません。

さらに私は、そのような爆発的生命力を「お能」のように内面の充実として圧縮します。
外から見れば静かに絵を描いているとしても、体の内側では矛盾の熱を帯びてギラギラ光るような感覚があります。
「爆発的な身体性とその圧縮」によって得られる超個人的な体感覚は、芸術の普遍性という魔法に通じると思います。

私にとって作品は、生命礼賛のお祈りの塊なのです。