Andecian: 感覚の限界から生まれたアート空間

Andecian Art Projectは、神経過敏のために既存の展示空間や人との打ち合わせに耐えられなくなった一人の画家が、制作をやめずに生き延びるために、自らの身体に耐えうる場所を作ったことから始まりました。
他者と調整し、合意を重ね、空間を共有するためのエネルギーが完全に失われた状態で、建物は殆ど一人で、時に泣きながら作られました。
同時に、このブルーカラー労働は、画家としてのノブレス・オブリージュに通じる確かな誇りをもって行われました。

そのため Andecianにおける建築は、展示のための器ではなく、作者の身体の延長であり、一つの作品として存在しています。

この空間に人が立ち入ることができるのは、作者自身、あるいは作者が信頼し許可した者が場を開いている時間に限られます。
それは管理や排除を目的としたものではなく、制作が持続するための、最低限の身体的・神経的条件を守るための判断です。
制作を維持するために、自己を損なうほどの社会的迎合は選択されてきませんでした。
また、場を乱す不誠実な関与に対しては、空間を閉じるという選択肢が用意されています。

一方で Andecianは、社交性や積極的な関与を前提としない空間でもあります。
挨拶が苦手な人、人と関わること自体に強い負荷を感じる人が、説明や振る舞いを求められず、黙って居ることが許される状態を是としています。
コロナ禍においては、特別に歓迎することも管理することもなく、黙って入ってきても良いという形で場が開かれていました。

また、主婦や中学生による展示も行われてきましたが、それらは教育や地域活動としてではなく、一つの制作として扱われました。
年齢や立場によって緊張感を緩めることはなく、作者自身が神経過敏の状態のまま、本気で関与し、制作として支えています。
その過程で、場に内輪的な気配を感じた際には、「家でやる方が良いのでは?」という言葉を投げかけることもありました。

Andecianは、一般的なギャラリーやコミュニティではありません。
夜の時間帯に空間が心地よくなり、人の集まりとして成立しかけた時期もありました。
地元にこのような場が生まれたことへの静かな歓喜と同時に、活動がコミュニティへと傾き始めることを、作者は「心地良さの中に生じた違和感」として、言語化以前に身体で感知しました。
その兆候の一つに耳鳴りが生じたため、作者は意図的に活動のペースを落とす判断を行いました。

制作の緊張が高まる場合は、告知や広報を優先することができず、展覧会の存在が期限間際にオンラインでのみ示されることもあります。
展示や発表、地域支援が優先事項なのではなく、この身体的条件の中で制作が続いてしまった結果として存在し続けている一つの作品です。

現在もなお、肉体的・精神的な孤独な労働と、地域の温かさの愛すべき緊張関係を模索しています。


判断原理について(継承と信頼の構造)

Andecianにおいて他者が場を開く場合、その判断は制度や肩書き、明示的な合意によって行われるものではありません。
判断の基準となるのは、長い時間をかけて蓄積された信頼と、身体的な感覚です。

この判断原理は、日本の祭礼における御神輿の引き継ぎに近いものです。
名前や立場を詳しく知らなくとも、毎年欠かさず祭りに関わり続けてきた人物に、ある年から重要な役割を託す。
それは名刺交換や役職による判断ではなく、年月を共にし、苦楽を分かち合ってきた身体の記憶によって行われます。

作者は神経過敏であるがゆえに、人の言葉と感情の乖離、態度と内面のずれを強く感知します。
作品は、その人の在り方や制作態度を映し出す鏡のようなものとして捉えられています。
そのため、場を開くかどうか、また継続を任せられるかどうかの判断は、過敏な感覚を唯一の拠り所として、信用と愛情に基づいて行われます。
これは選別や評価を目的としたものではなく、この空間と制作が時間の中で壊れずに続いていくための、経験的で不可避な判断原理です。

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