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まとまらない人を読んだ人

坂口恭平さんの「まとまらない人」を読んだ。
「愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る」
というナポレオンの言葉を思い出した。
ナポレオンは自分が賢人であると話をしていたようだけど、僕はずっと狂人の語る未来が気になっている。

ガリレオ・ガリレイの地動説だって、初めは狂っていると思われた。
常識の先の話は、信用もされないし、お金にもならない。
ビートたけしさんは、常識の半歩先が丁度いいと言っていた。
テレビで活躍するには、その通りなのだと思う。
だけど、言葉になる前の言葉や、体から出てくる絵があって、それを必要としている人がいる。
体の反応にとって、それは生きる力になる。
世の中が狂っているときに、狂っていると言われる人は、正常かもしれない。

僕は鬱になりやすい。
無敵の躁状態になる時もあるけど、落差が怖いので鬱と同じくらい気をつけている。
自殺もよく考えた。(考えなくてもスーッと引き込まれそうになる。)
最近は大丈夫な時間が増えたけど、鬱の時間は突然やってくる。
だから、人と約束するとその時間に向けて、ずっと気になって仕方がない。
すごくストレスになので、出来るだけ約束しない。
他の人が、ササッと連絡を取り合って約束通りに行動できる事が信じられない。

絵を描く事が丁度良い。
かといって、アーティストしているかといえば、現代アートになかなか馴染めいない。
どうにもコンセプトが書けない。
一貫して絵に描いているのは「生きる事」なのだけど、言葉を尽くして説明しようとするほどずれていく。
文章の塊はパズルのように組めるけど、テーマが定まらないと止まる。
最近、脳ではなくてお腹の思考。体の言葉。といえば少し落ち着く事に気がついた。
バラバラに言いたい事を言って、作風を定めなくていいならできる。

いのっちの電話をかける人も、定まった自分を求められる事への苦しみなのではないかと勝手に想像する。
プリズムの光の反射の一面だけを求められる感じ。
社会は主にその一面だけを集める事で回っているのかもしれないけど、人間の心は山の天気のように移り変わるのが自然だと思う。
プリズムは見えなくて、たくさんの面から反射された光から本体を想像するしかないと思う。
アキレスと亀みたいに、いつまで経っても本体は捕まえられないかもしれない。
だけど、少しでも自分の中の光を追いかける事で、生きやすくなるかもしれない。
それが何かをつくる事なんだと思う。

僕は自分の作ったものや書いたものを消してきた。
Facebook3行の投稿に丸一日かけて、結局投稿せずに消す事を繰り返してきた。
絵も消しまくっている。
詩のようなものを消すのはもっと早い。
すぐに過去の自分が恥ずかしくなるからだ。
それは統一されていないことからくる。
自分として統一しなくていいんだと思えば、消さなくていい。
まずは消さない事からやってみたい。
そして、食事も睡眠もリズムがないけど、何か日課を作ってみようと思う。

Wikipediaに米国自殺学会のエドウィン・S・シュナイドマンという人のこんな言葉が書かれていた。
「魂と来世という思想を捨て去ることができたとき、その時初めて、人間にとって自殺が可能になった」

いのちのおかわりはない。
あの世に行けばもらえるかもしれないけど、この世にはない。
僕は、魂と来世については、いわゆる宗教的な思想である必要はないと思う。
生きた痕跡を残そうとすること。
形がなくてもいい。
場所は選ぶけど、叫んだり、走ったりだっていいんじゃないかな。
面倒臭いけど、掃除するとすごくスッキリするあの感じ。
自分で思った事を行動に移す。それだけ。
ただそれだけなんだけど、命に関わる大事な事だと思う。
体が思っていることは、今までの自分では考えられない事かもしれない。
行動に移す事で人に迷惑がかかるかもしれなければ、紙に書いたりして想像できる。
魂や来世を考えなくても、死ぬ気が減ればそれでいい。

こうやって自分で書いていて、全部嘘かもしれないとも思うし、本の内容をなぞっただけのような気もする。
それでも、これは僕の分裂している一面を残してみる試み。
プリズムの反射の一つ。
「振り向くな一歩前へ」

まとまらない人を読んでみた人は、狂人の語る未来がますます気になるようになった。