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近所のチャップリン

最近は地方でも色々なイベントが増えた。地域活性化と言っている。僕はどこに住んでいてもその街のために頑張ろうとは思わない。頑張らせられる地域は住みにくいから。住みにくい地域は活性化しない。自分から町のために手伝いたい!と思うことに関わるのはもちろん楽しい。僕もイベントの企画をしたりしたけど企画の側は大変だけど楽しい。そして、ついてこれない人は本当に辛い。なんとなくの忖度すべき強制力が働く感じが困る。アート関係の舞台なんかでそうだったりすると特に苦しい。イベントに誘われる時は、人としては好きだし、できれば協力したい気持ちとの間で揺れる。すごくペースが乱れてしまう。市のため、県のため、やがてお国のために繋がっていくようで怖いからでもある。小さな行動でさえ、お国のために心を殺す事が怖い。だから違うことをする。すぐに消耗してしまう僕は、ちゃんと休むことを大事に思う。

戦争を知らないからだと言われるかもしれないけど、元特攻隊員の方は「なぜ死ぬ覚悟で戦争に反対しなかったか」と後悔の念を語られたそうだ(記事をはこちら)。お国のために死ぬ事が良い事だと教育され、死なない死なせないために、死ぬ覚悟が必要だった時代。 生きるも死ぬも、死。 戦争は知らないけど後悔の念を抱く方の声が、まだかろうじて生きて届く時代。地域のために頑張らないことで、国のために死なない人が増えないで欲しいと思うのは考えすぎかもしれないけど、自殺の問題に繋がるようですごく気になってしまう。

若いからだと馬鹿にされるかもしれない。先日、初対面のお坊さんに「君達はクソ世代だ」と言われたので、「あなたたちはその世代を作った大グソ世代ですね」と返した。 行く道、来た道を馬鹿にしない大人でありたい。と、友達のおばあちゃんの話を聞いて思った。

「私は祖国を愛している。だが祖国を愛せと言われたら、遠慮なく祖国から出て行く。」と、チャーリー・チャップリンが言っていたそう。この感覚がとてもしっくりする。

僕はイベントに参加するのが苦手なので、ほとんど行かない。見ると何かしたくなるけど、その場ではできない。だから、イベントは出店者のためのものなのではないかとさえ思う。お祭りで太鼓を打つのはできるし、屋台に立つのも少しはできる。ちゃんと打ち合わせから準備からというのが、本当に苦手になってしまった。

イベントでその時その場が盛り上がって、成功して何人来ても、出店者が儲けたと言っても、駐車場整備の大学生の気持ちが気になる。彼らはボランティアで、お店は商売。だから、大学生の日曜日が収入になって、大人たちが打ち上げに行くように見える。しかも、イベント運営で忙しいから、ありがとうと言っておしまい。駐車場整備では一緒に入らない限り、地域の人と繋がりができるようなことはほとんどないと思う。それなら、アルバイトとして行った方がいい。そりゃあ仲良くなれるのが一番いいけど、使い捨てにされる事にも気をつけた方がいいと思う。主催者も悪気はないだけに、言いづらい。楽しめていなそうな人が気持ちよく参加できるにはどういう形態があるのか気になってしまう。

イベントは、関係者同士の顔合わせの意味があるのかもしれない。一緒に作業をすると仲良くなる。それでも川はドブのように汚いし、湧水は農薬で飲めない。そういうネガティブなことを言わずに、ポジティブに!と言って問題を見ない振り。日本は高齢化の先進国。年上を立てる。僕らが年金を欲しいと思う頃にまだその文化は残っているのだろうか。若者から、お前らが問題を放置したからだと笑われるような大人にならないように気をつけたい。

笑点の円楽さんや歌丸さんが引退する姿がカッコ良かった。テレビだから本当の事は知らないけど、居るだけで嬉しい。若者が、近所で自分から立てたくなる年配者に出会えたら幸運な事かもしれない。