ドイツ・ライプツィヒの日常

ドイツ・ライプツィヒはベルリンの壁崩壊のきっかけになるデモの発祥の地。
旧東ドイツ地域で、壁の崩壊後は人がいなくなり、空き家がすごく増えてしまう。
ヴァンダリズムという家屋の破壊や、空き家での麻薬密売・売春などが横行して治安が悪化したらしい。

対策として、行政が壊れそうな建物を壊して、暫定的な緑地を作ることに助成する。
すると、その流れで100年以上の歴史的価値のある建物も壊されてしまう。
当時デモを行っていた世代の人たちがNPOを立ち上げて、大家さんと交渉して家守の人に格安で貸し出すなどいろいろな方法を模索。
お金はないけど何かしたいエネルギーのある若者が集まり始める。

僕らが住んでいた「日本の家」は、当時ドイツ最悪の通りと呼ばれたアイゼンバーン通りにある。
10年で地価が10倍になるなど、めまぐるしく街が変わる時だった。
僕は眺めているばかりだったし、夜中に酔っ払いが騒いでいてうるさかったけど、確かに刺激で溢れていた。

こういう建物がずらりと並んでいた。
ちょうど移民が一斉に押し寄せていた時で、2kmくらいの道に20件くらいのケバブ屋があった。

ライプツィヒは、クラインガルテン Kleingarten(小さく区画された市民農園)の発祥の地らしい。

みんなで湖に遊びに行って、浜辺でそのまま寝た。
大雨が降って気でずぶ濡れになった。
朝になると友達の自転車がなぜか湖の中に置かれていた。

裏庭にある自転車ワークショップで溶接体験。

イベントで使う自転車の荷車の完成!
溶接すごい!

バスで1時間ほどのところに、フンデルト・ヴァッサーの作ったアパートがあった。
トイレまで変で面白かった。
Hundertは百、Wasserは水意味。
展示されていた彼の作品にも「百水」と書かれた印が押されたものが多くあった。
アインシュタインも一つの石だから、百水さんと一石さん。

ボロくてかわいいカフェの椅子。

日本の家の書き初め。
友達には、僕の書いた文字を写すように言う。

日本の家の後ろのトラウトマンの木の床。
ぎゅうぎゅう詰で夜中まで爆音で音楽を鳴らす。
タバコの煙でモウモウ。

ときどき廃墟に侵入した。
使っていない建物を勝手に占拠する、スクウォットという活動もある。
ここに住めば広々しててたくさん絵が描けると思ったけど、直すのが大変そう。

ある日のバーのマスター。
Sternburgという星印のビールが地元のもの。
1本100円しない、チープな感じが最高だった。

日本の家の夜
遅くまでやっているケバブ屋を探して散歩する。