能画以外の墨絵の話

※絵画展「PONYOH」に掲示していた文章です。https://miyawrry.com/blog28655

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能画以外の墨絵の話

1949年に亡くなった、ビル・トレイラーという画家がいます。彼はアメリカの元黒人奴隷で、85歳から独学で描き始めました。わずか3年間に1500枚の絵を遺しています。段ボールと簡単な絵の具を使っていて、全く技巧的ではないのですが、猛烈に心を掴まれました。

師匠の呼吸に迫ろうと思い、まずは真似てみました。その当時は自分の鬱がひどく、ある意味で完全に研ぎ澄まされていたので、かなり満足する絵が描けました。でも、だんだんと彼の世界の中にいる感じが強くなりました。そうすると、自分の絵なのに自分の内側とのずれを感じて空虚になり、絵がダメになってしまう気がしました。シンプルだからこそ、尚更自分をごまかせないのです。ダンボール(厚紙の絵)はしばらく描くのをやめにしました。

それから6年ほどパステルや油絵を続け、和紙を使ったお能の絵に辿り着いたことでやっと少しだけ自由になりました。「銚子に生まれ育って伝統文化の手触りを土台としているこ
と」と、「人生が行き詰まることで研ぎ澄まされた感覚」。これらの要素は自分の中で長らく矛盾していたように思います。地域の豊かな歴史の土台と、個人的な精神の不安定さ。そういう噛み合わなくて凸凹した分断が、自分の中で少しずつ一塊に向かう感じがしました。

こうして、お能という純和風を経由して、やっと洋風の墨絵も違和感なく描くことができました。「外川で経師屋(襖や障子の職人)をしていた亡くなった義理の叔父が遺してくれた紙」に、「自分で削った竹ペン」、「おもちゃみたいな筆とホームセンターの墨汁」で描いています。改めて考えてみると、それぞれが「地域の歴史や身近な繋がり」「自分自身」「日常生活」の象徴のようで最高の画材たちです。手数は少ないけど、奥行きを作るような絵との対話が前よりも濃密になった気がします。和洋折衷という表層が大事なのではなくて、自
分の足で立つような感覚が大事なのです。絵に関わるような心の内側を観察し、言葉にすることもちょっとずつできるようになってきました。

地域の伝統芸能は、何世代もの無名の人たちの身体を通して洗練されています。銚子のお囃子は、荒波に揉まれているような要素がとても強くあります。佐原、八日市場、旭、銚子と同じような曲があるのに、銚子だけテンポが異様に早い。「大漁か、死か」という博打のような暮らしを乗り越えるための活力である必要があったはずです。それをお祭りの絵としてストレートに表現するのではなくて、一旦お能的な内面の充実と捉える。それがシンプルな線に宿るように感じたら、ようやく自分の足で立って、広い世界や心の矛盾と接続する。要するに、銚子の海の文化の一つの研究のつもりなのです。ドイツにいて鬱で自殺しそうな精神状態だった時、ひたすら銚子のお祭りの音楽をヘッドホンの最大音量で聴き続けていました。人の命が簡単に奪われてきた海の難所が地元だからこそ、その文化に込められた命の力を絵にできるかもしれない。自分が生き延びた力は、形を変えて他の人の力になれるかもしれない。書きながら自分でも驚いていますが、なかなか掴めなかった気持ちが、ついに言葉にできてとても嬉しく思います。