mana & miyahiro
PONYOH
ポンヨー【朋友】
中国語で友達の意味
銚子四中の美術部を卒業してから20年以上が経った。僕は漫画を描き写したり、なぜか校舎の外周を走ったりして、スケッチブックを一冊も書き終えないまま卒業した。学校の中でも空気の違う美術室で、なんとなく過ごす時間がたくさんあったのはとてもありがたいことだったと思う。マナは部長で、いつもいろいろ気を配っていて大変そうだった。当時から落書きの線が安定していてすごかった。高校からは別々で、僕は大学の芸術学科を卒業後したけど、結局何者にもなれないままあちこちフラフラしていた。
時々、銚子に帰ると偶然道でマナに会うという事がよくあった。僕はプロ用のデザインアプリや一眼レフのデジカメを使っていたけど、マナはwindows標準ペイントアプリとマウスで絵を描いたり、ぼんやり画素のガラケーで写真をたくさん撮っていた。マナの作ったものには、お芸術を学んだ人にはない独特な視点があって、自分が情けない気持ちになったりもした。「もっとやれ!発表せよ!」と一方的に捲し立てて、次の旅に出た。
そんな事が10年ほど続いて、僕は旅を続けて七転八倒して行き詰まり、銚子でロクの家を作った。ロクの家を見て、絵描き仲間のカオリさんにも励まされ、マナはやっと展示をする気になったらしい。「作ったものを捨てずに人に見せてみる」という営みがとても面白かったようで、堰を切ったように銚子でいろいろ企画し始めた。それからあっという間に5年が経ち、僕は佐渡島に住み始めているし、マナは台湾にハマっている。
僕らが何かを一緒にやろう!という時、あの中学の連帯責任みたいな気色の悪い「一緒に」さはない。「遠慮するな、殴ってこい!ただし一切手を抜くな、思いっきりやれ!」「おう、お前もやるじゃねえか!」の感じを、大人の美術部らしく精神的にやる。時間と場所を決めて、ぱっと見の統一感は考えず、作品を持ち寄って設営する。それでも不協和だけの場にはならないことはわかっている。長い人生にしてはヒヨッコだけど、幼馴染のような友達と年月を重ねて初めてできる事があると思う。ここにある共鳴・共振は、人の命にとって普遍的に美しいものだと信じているのです。
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その他の掲示文章はこちらです。
台湾とも中国とも朋友でいたい
https://miyawrry.com/blog28658
能画の話
https://miyawrry.com/blog28660
能画以外の墨絵の話
https://miyawrry.com/blog28662







































