みかんの家への応援、ありがとうございました!

2024年12月、旧山口パンの建物での「みかんの家」は終了しました。ちょうど1年経ち、インスタのアカウントもなぜか消えてしまったので、一応こちらでお知らせします。

みかん資金やトイレ資金としてお預かりしている15万円程のお金は、ギャラリーアンデシャンの2階を整備するのに使わせて頂く予定です。こちらはより学習室とか自習室みたいなイメージです。今度の建物は、目の前の通りの車の交通量がとても多く、急に飛び出すような小さい子には危ないので、もう少し大きい子に向けた活動になる予定です。夏に引越し作業が終わったところで、具体的な形になってきたり、もっと良い形にできそうな変更があればまたお知らせします。

一つの建物は終了してしまいましたが、そのこと自体はあまり重要なことではないと思います。あの場所で過ごしたこと、共有した何かが心の中に残っているならば、それこそが核心的に大事なはず。実際にイベントを主催している凸凹なメンバーやその友達と関わることで、人のちょっとした変化がたくさん生まれるのを見ました。人から見るとちょっとの変化でも、本人の人生にとっては大きな変化、みたいなことも多々あったはずです。銚子自体は変わらないのに、見方が変わると全然違う面白い街に見えてくる。わざわざ、これこそが手柄だぞ!というのは、プライベートだし無粋に思うのでいちいち言いませんでしたが、人の小さな(大きな)変化をみんなで喜び合う。確かにそういう濃密な場でした。

建物自体は、老朽化が著しくて限界を迎えました。何十年も銚子の中心にある、パン屋さんや雀荘の思い出のある場所なのだと、色んな人から聞きました。自分自身は、結果的にみんなで明るく建物のお葬式をしたみたいな気持ちがあります。ボロボロでどうしようもなかった建物の最後の最後に、子供たちの声が響いて、大人が夢を語って飲んで歌う。これから建物を取り壊しても、建物のおかげでできた色褪せないものが記憶として残ると思います。

みかんの家について、「中心のよくわからないアメーバ状のカオスの場だった」という感想も貰いました。とても的を得ていると思います。一応自分が代表のような感じではあったけど、活動自体はメンバーの自主性によって成り立っていました。組織としての「みかんの家」に問い合わせをしても、どこからもちゃんとした返答はない。ましてや関係ないビジネスだったり、実績作りをしたくても、何も発生しない。だけど、メンバーの誰かと個人的に仲良くなりさえすれば、スルスルと一緒に活動できたんじゃないかと思います。

お預かりした場所に頂いた物を組み合わせて場所を作ってからは、なんとなくの方向性を語りながら、自分自身は実際には掃除だけしていました。飲食店営業の分、衛生面は気をつけましたが、多くの人が想像するお店である必要はないし、レンタルキッチンでもない。そもそもの完成像自体が存在していませんでした。掴みにくい何らかの流れがあるだけで、わかりやすい形はなくて、どこまも人間しかいないことに面食らった人も多いのではないかと想像しています。お店やプロの支援所じゃないので、対等な「こんにちは」から話ができることこそが本質的に大事で、そのことを言語化して丁寧に案内すればするほどお店になってしまうという感覚といえばいいのでしょうか・・・。自他ともに戸惑いも含めてどこまでも完成せず、作り続けるしかないという意味では、未完成のみかんの家らしかったと思います。そのスタンスには賛否があるはずだし、カオスの洗濯機の中で洗われるか、セーターみたいに縮んじゃうかは相性があると思います。好き嫌いよりも、体質的に合うか合わないかみたいな感じだと思います。

気に入らない、もったいない、結局本当に必要な人に届かないじゃないか!というご意見もいただきました。口のわりにできていないと感じたら申し訳ないですが、自分が無料でできる限界はここまでです。精神科で自閉症の特徴があると言われ、たくさんの人と同時に関わることが得意ではないのだと後からわかったくらいです。そもそも向いていないながらも、皆様に助けられて奇跡的に場が存在していたのだと思います。本当に必要な人や届け方もわかる方は、それは一種の才能だと思います。ぜひご自身で立ち上げてみてください。銚子市の内外でこういう場所がやりたかった!と近隣で幾つもの場所が立ち上がり、とても嬉しかったです。夢を教えてくれた高校生や、あっという間に独立してお店を立ち上げてしまう!という驚きまでありました。空き家の使い方や人の集まる場所のあり方として、一つの事例になれたかなと思っています。決して綺麗ピカピカの場所ではなかったけど、心の純粋さを保ったまま場所を閉じるのは、芸人の最後のようで美しい有様だと思います。社会彫刻という芸術作品でもあると思っていたので、一つの美しさと共に終わりを迎えられたのは嬉しい限りです。

そもそもお金にならないし、時間と労力の分マイナスにしかならない活動といえばその通りなのですが、あえてそれをやることでしか見えない景色が確かにあります。一歩先だけは確実に見えていて、これがどこに通じているのかはよくわからない。けれど、何か代え難い大切なことが起きているという感覚は最後まで揺らぎませんでした。自分自身はこれまでに、鳥取やドイツでの空き家を使った活動を通して生きる上ですごく助けてもらいました。そういうカオスの場への恩返しの気持ちが多くあったんだな、そしてそれは果たせたかな。と後から思いました。ここでの経験や出会いが、何かしらの形で銚子の人の中に生きるならやってみてよかったと思います。

子供たち自身は、みかんの家としてはっきりとは思い出せなくなっていくと思います。もし覚えていても、小さい頃になんか変な場所があった気がする。くらいだと思います。路地に迷って一度入っただけの駄菓子屋をなぜか忘れないみたいな、親がなんか楽しそうにしていた場所があった気がする・・・みたいな「昔そういえば、あんな場所なかったっけ?」というような、失われた謎の場所の一つとしての灯りを灯せていたらいいなと想像しています。今ご老人が語るこの建物の記憶が、次の世代へ別の形で引き継がれるような、ちょっとした50年後の楽しみです。

地元のど真ん中でこのようなことを描く大きなチャンスと、これ以上ないメンバーに恵まれ、運営に関わることができました。
魂は続きますが、建物は一旦ここまで。
応援ありがとうございました!